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織田信長の家来には黒人がいた!?
最終更新日:2020/10/21

戦国時代には、戦国大名に使える家来が大勢いましたが、
織田信長の家来には「黒人がいた」というのは知っていますか?
画像引用元:wikipedia「織田信長」
その黒人とは
画像引用元:wikipedia「弥助」
弥助(やすけ)という名前の黒人。
弥助は戦国時代に、キリスト教を伝えに来たイタリア人の
「サンドロ・ヴァリニャーノ」の召使いでした。
そんな彼は、どうやって織田信長の家来になったのでしょうか?
どうやって家来になった?
黒人の肌の色に興味を持ち、気に入った。
信長と弥助に関する逸話があります。
サンドロ・ヴァリニャーノについて来日した彼は、
信長が彼を見ると「肌を黒く塗っているのではないか?」と疑い、
体を洗わせたところ、白くなりませんでした。
そこで、本当に黒い肌をした人間だと納得した信長は
興味を示し、サンドロ・ヴァリニャーノとの交渉で彼を引き取り
「弥助」という名前を与えたようです。
弥助の出身は?
モザンビーク共和国出身。
弥助はアフリカ大陸にあるモザンビーク共和国出身です。
当時のモザンビークは、ポルトガルの植民地だったこともあり、
多くの黒人が召使いとして、世界中に送られていたようです。
あの有名な襲撃にも遭遇
弥助は本能寺の変にも遭遇している。
弥助という名前で家来になった彼は、実は本能寺の変にも遭遇しています。
明智光秀の襲撃に遭遇した弥助は、明智軍と戦った末に投降し、捕縛されました。
家臣に処分をどうするのか聞かれた明智光秀は、
「黒奴は動物で何も知らず、また日本人でもない故、これを殺さず」として処刑はせず、
南蛮寺に送られることになったようです。
その後の消息は、史料に現れないため不明とのことです。
一説には、信長の前に「有馬晴信」にも謁見しており、
弥助が面識のあった有馬家へ行ったのではないかと言われています。
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黒といえば、浦賀に来航した「黒船」はなぜ黒かったのか知っていますか?
・浦賀に来航した「黒船」はなぜ黒かったのか?
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以上、織田信長の家来には黒人がいた!?でした。
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