魚のハリセンボンの針の数は何本?

ハリセンボン

画像引用元:wikipedia「ハリセンボン」

フグの仲間でふくれた時は針状のトゲを出すハリセンボンですが
実際は1000本も針はありません。

本当の本数は?

ハリセンボン
画像引用元:wikipedia「ハリセンボン」

実際は350本ほど。

普段はトゲを寝かせた状態で泳いでいますが、身の危険を感じると大量の海水を飲んで
胃を膨らませてトゲを立たせています。

「ハリセンボン」と言う名前は、この魚が特徴は皮膚にたくさんの棘があるということから「ハリセンボン」と
名前がついているだけで、実際は350本前しか針はありません。

針の部分は元々・・・

ハリセンボン

針状になっている部分は元々は鱗(うろこ)。

ハリセンボンの特徴的なあの針は、実は鱗が変化したもので
成長するにつれてだんだんと針のようになっていきます。

また、ハリセンボンには針や身、内臓には毒がないため
沖縄では「アバサー」と呼び、味噌汁などに入れて食べられています。

しかし、例外的に卵には毒があるので、卵は食べてはいけないようです。

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以上、魚のハリセンボンの針の数は何本?でした。

「なんで生きているの?」という疑問に多分正論で答える。

悩む女性

父「なんで生きているのか?」

子「夢オチだったりして」

人生に辛くなるとそう思ってしまいがちですが、
当然ながら考えても結論は出ない。
何かしら信じ込んで生きるしかないという。

猫はどうだ?

見つめる猫

ほとんどの動物は何も考えていないだろう。

猫を見ていると「なんで生きているのだろう?」と考えているようには見えない。
ただ生きている。それを普通と思い、苦には思わない。
猫としての地球上の役割や目的なんて考える猫はいない(多分)。

迷ったら仏様の教えを

ブッダ

動物の行動源は「苦」です。
「苦しみから逃れるために生きる」ものと説かれました。

息を止めると苦しい、だから息をする。
食べないと苦しい、だから食べる。
そんな苦から逃れて生きるのが人生です。

だから、苦から解放されるともうこの世には生まれてこないとされます。
本来、仏教は苦から逃れるために修行をするものです。

動物的には

馬

種の繁栄のために生きるのが生物です。

とにかく子孫を繁栄させ、地球上により長く生き残る。
進化論が正しければ、元はみんな同じ種です。
生き残るために様々な生物に変化しているだけ。

人類は人類を繁栄することだけを考えれば良い。
猫は猫が繁栄することを。
とにかく進化により得た能力を一生懸命発揮するのみ。
そうして絶滅すれば、それは仕方ないことです。

人間的には

ビル群

社会での役割を果たすのみ

人類は社会生活にて生きる生物です。
そのため、それぞれ違う役割にて助け合い、協力しながら生きています。
自分の役割は何か?それを見つけるのが人生であり、仕事です。

「なんで生きているのか?」答えが無いようで、答えがある質問。
役割を持つというのは、社会の役に立つということ。
だから、人間は役に立つと嬉しい気持ちになる。

とりあえず、生きる意味がわからない人は、
「社会の役に立つ」ということだけを考え行動をすると良いと思います。
それが個々の責任でもあります。

ただ、考え方がちょっと違うと危険でもあります。
「人のためになる仕事」という発言が危険な理由

何事へも尊敬する心が大事。

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以上、「なんで生きているの?」という疑問に多分正論で答える。でした。

間食のことを「おやつ」と呼ぶ理由

ドーナッツ

昼食と夕食の間に食べる間食のことを「おやつ」と呼ばれており、
また、「おやつ」と言えば間食として食べられるお菓子のことを意味します。
では、間食のことを「おやつ」と呼ぶのはなぜでしょうか?

おやつとは

お菓子

おやつは昔の時刻の呼び方からきている。

おやつの「やつ」とは「八つ」で昔の時刻の呼び方からきています。

江戸時代では昼夜を6等分しており、一日を12刻で表しています。
そして、今の午後2時から4時までを「八つ(八つどき)」と呼び、その間に間食をすることから
「おやつ」と呼ぶようになったのです。

おやつの「お」

太鼓

おやつの「お」は尊敬の接頭語としてつけられている。

おやつの「お」は京都・大阪では本願寺が太鼓を打って「八つ」の時刻を知らせたので
尊敬の接頭語の「お」をつけて「おやつ」と呼ばれるようになったとも言われています。

明治時代

時計

明治時代になってからは「お三時」とも言われている。

明治時代になると時の表示方法が変わり一時、二時と表すようになったので
午後三時ごろにおやつを食べることからおやつのことを「お三時」とも呼ばれていました。

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以上、間食のことを「おやつ」と呼ぶ理由でした。