
競争や水泳などのリレーで最後の人をアンカーと呼びますが
なぜ、アンカーと呼ぶのでしょうか?

アンカーは綱引きから由来。
アンカーと呼ばれるようになったのは、綱引きから由来しています。
綱引きでは、最後尾に体重の重い人を配置するので
「綱を地面につなぎ止める重し」から「船の錨」と例えて「錨=アンカー」と呼ばれるようになりました。

アンカーは他の競っている選手に競り負けないため。
アンカーは大体は速い人が配置されることが定番です。
その理由の一つとしては、他のアンカーに競り負けない経験やメンタルが必要なので速い人が配置されやすいのです。
しかし、一番速い人を配置させるというわけではなく
リレーのチームによって多少異なりますが、一番速い人をアンカー以外に配置することもあります。
アンカーは一番速い人を配置させるというよりは、
一番速い人に近い走りをする競り負けないメンタルを持った人が配置されるようです。
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ちなみに、トラックのレーンの並びはどうやって決めているのか知っていますか?
・<陸上競技>トラックのレーンの並び順はどうやって決める?
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以上、なぜリレーの最後に走る人をアンカーと呼ぶのか?その由来とはでした。

「パチスロなんて絶対に負ける」
とよく言われる言葉ですが、
確かに仕組みも知らず、勝ち方も知らずにやると負けます。
逆に、それらを知れば勝てるので、比較的勝ちやすいギャンブル。
いまだにパチスロで生活している人はいます。
ということで、まともな勝ち方を説明。
私は自称元スロプロなので、信じてよい内容です。
設定5・6だけを打ち続けているから。
パチスロは設定というものがあり、
1~6段階。6にいくほど良い設定となり、多く出ます。
それは「高設定」と呼ばれており、誰もが打ちたい台。
ただ、この設定はもちろん外観ではわかりません。
が、プロはこれを高確率で見抜きます。
高設定が置いてある店に行かないといけない。
これは基本中の基本ですが、意外と盲点。
設定1しか無い店は絶対に勝てません。
そんな店は普通にあると考えてください。
優良店と呼ばれる店ならいいか?ですが、
そうでもありません。ボッタクリの店でも勝てます。
というのは、あくまでも狙うは設定5・6。
全台設定3の優良店では勝てません。
1台だけでも設定6がある。そんな店が「勝てる店」です。
パチスロは情報戦です。
この情報がプロの生命線。
お店の癖を見抜きます。
初心者は「データ」を重要視しますが、それは常識。
勝つための基本はお店の癖を把握することです。
どういった台に設定6を入れるか?これがわからないと勝ち目がない。
例えば、機種名で言うと「ジャグラー」には設定6はあるけど、
「バジリスク」は最高でも設定4という店があるとする。
このお店の場合、狙うはジャグラーです。
次にジャグラーから設定6を探す。
夕方に行き、設定6の確率でボーナスを引いている台が2台あったとする。
まぁ、設定6なんて1台あれば良いほうです。
なのに、
「うわ、設定6が2台ある!打とう!」
と思考停止して打つと、
「俺が打つと確率が下がる・・・」
となってしまう。
どちらかは設定1のまぐれ引きです。
お店の癖的に、設定6が日に1台しかないと分かっていれば避けれた負け。
データばかりを過信し、お店の癖を考えない。
これが初心者が勝てない理由。
朝こそ、完全にお店の癖読みです。
どこに設定6を入れるか?
稼働データが無いので外観では全くわかりません。
そこで、二日連続では入れない、角から5番目以内に1台はある、
角に入れる可能性は低い、とお店の癖から設定6に座れる確率を上げていく。
プロはここが素晴らしいです。
ピンポイントで座って、閉店まで打ち続ける。
もちろん外れる時はありますが、高確率で当て続ける。
1店舗だけでは限界があるので、
癖が読みやすい日を狙ったりと、何十店舗で立ち回る。
1店舗だけで勝ち続けるスタイルの人はほぼいないと思います。
朝から打つ場合、このくらいやらないとまず勝てません。
リーマンなら夕方から打ちたい。
多くのお店の癖を研究できない場合、1店舗に絞って癖を把握し、
夕方からデータと照らし合わせて台を決めるのが良いです。
AT・ART機は時間的に厳しいので、ジャグラーなどノーマルタイプを選択。
一番大事なのが、
設定5・6と自信を持てる台が無ければ打たずに帰ること。
これができれば、ほぼ負けないと思います。
もちろん、面白くもなんともない。
勝ちにこだわると、パチスロはとてもつまらないものになります。
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負けるとわかっちゃいるけど、好きな台を打つ。
お金に余裕があれば、このスタイルが一番です。
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以上、打たない人でも知っておきたいパチスロの勝ち方の基本でした。

もみじ饅頭とはもみじの葉の形をしている饅頭のことだが
このもみじ饅頭が誕生したのはある有名な人物が関わっていたとされています。

引用元:wikipedia「伊藤博文」
もみじ饅頭の誕生には伊藤博文が関わっていたとされている。
一説では、もみじ饅頭が誕生したのは明治時代末期に伊藤博文は
宮島の名所の一つである紅葉谷を訪れたとき岩惣(いわそう)という旅館に寄りました。
その時にお茶を出してくれた娘の手を見て「もみじのように可愛い、焼いて食べたいね」と言ったそうです。
それを聞いていた旅館の女将が菓子職人に作らせたのがもみじ饅頭の始まりではないかとされています。
※諸説あります。

引用元:元祖もみじ饅頭 高津堂
もみじ饅頭を発案した人物は厳島(宮島)の和菓子職人の高津常助。
高津常助は岩惣の女将から「大切なお客様への手土産に、紅葉谷の名にふさわしい菓子が作れないか」と依頼され
試行錯誤の結果、紅葉形焼饅頭を完成させたとされている。
高津の和菓子屋「高津堂」は伊藤博文の定宿である岩惣の門前にあり、取引先の岩惣の依頼によりもみじ饅頭を考案したとされています。
伊藤博文から岩惣の女将を経由して和菓子職人の高津常助へと依頼が来たのではないかと考えられる。
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以上、もみじ饅頭の誕生には有名な政治家が関わっていた!?でした。